菅原道真公

天神社の御神体です

※この文は、「滝行の会」スタッフのN女子のご協力を得ました。

エリート官僚から怨霊、怨霊から神になった男

 

平安時代前期に活躍した学者、政治家である菅原道真は、天神様として信仰を集め、現在は学問の神様として広く知られている。

 

菅原道真は神に祀られる前、死後約30年の長きにわたり、怨霊として人々から恐れられていた。

学者の家柄で才能を育む

道真は承和十二年(845)六月二十五日、大学で歴史や詩文を教える文章博士(もんじょうはかせ)を歴任する文人貴族の家に生まれる。父、是善(これよし)や門人から薫陶を受け詩文の才能を開花させる。

元慶元年(877)、文章博士に就任した道真は、宇多(うだ)天皇に抜擢され急速に出世する。勢力を増す藤原氏を押さえたい宇多天皇の意向を受け、道真は政治の刷新に乗り出していった。

敏腕政治家としての顔

寛平六年(894)八月、五十歳の道真は遣唐使に命ぜられる。ところが菅原家の名誉といえる大使を道真は辞退してしまう。さらに、遣唐使そのものを廃しにもっていく。

廃止の理由は唐の衰退、命を落とす唐への渡航の困難さが挙げられるが、真の理由は、逼迫した国家財政の負担を減らすため莫大な遣唐使費用を抑えるためと言われている。

税負担を減らす善政の政治家として、民衆の人気を集めていたのかもしれない。

道真を失脚させた藤原氏勢力

 

道真とともに藤原氏の権勢を抑え善政を施してきた宇多天皇が三十一歳にして突如譲位する。後を継いだ醍醐天皇も引き続き道真を重用した。

藤原時平(ふじわらのときひら)が台頭し、昌泰(しょうたい)二年(899)、時平は左大臣左大将、道真は右大臣右大将に任じられる。

すると「学者の家柄出身で身に余る」と右大臣を辞退しようとする道真の態度を、「謙虚の態でその実、野心満々」と見た藤原時平の反感を買うことになった。

※画像は歌川豊国の浮世絵  菅原道真公と藤原時平

 

大宰府での道真公です

 

昌泰四年(901)道真が時平と同じ位に任じられた直後、道真は九州の太宰権師(だざいふごんのそち)に左遷されてしまう。 

藤原時平の「醍醐天皇の廃位の企てあり」と讒言されてその罪に問われた。

 

自宅の庭の梅の木を見て詠んだといわれる歌がある。

「東風(こち)吹かば、にほいおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」

(春になって東風が吹いたなら、太宰府にいる私のところへ梅の花の香りを届けておくれ。私がいなくても春をわすれてはいけないよ)

 

大宰府に罪人として左遷された道真は二年の後に五十九歳でこの世を去る。

死後約30年間祟り神として恐れられる

道真が死去した延喜三年(903)より、都で雷雨が続く。さらに干魃が続き、病気の流行で多くの死者を出した。

やがて延喜九年(909)、道真を失脚に追い込んだ藤原時平が病に倒れ、三十九にして死去する。人々は道真の祟りではないかと信じ始めた。

藤原時平の親族である皇太子が二十一の若さで死去した翌月、朝廷は道真に右大臣の位に復し、左遷の命令を取り消した。

しかし、延長五年(930)、清涼殿に落雷の惨事により怨霊道真の存在は決定的となる。

雷鳴とともに巨大な光の矢が清涼殿に突き刺さり、道真左遷に関わった藤原氏の面々が顔や腹を焼けただれた状態で死に絶える。

衝撃を受けた醍醐天皇は病に倒れまもなく死去する。

 

人々はすべて道真の怒りの為せる業だと噂した。

このように道真は死後約三十年にわたり、祟り神とて恐れられた。

荒ぶる神から守り神へ

神として祀られた菅原道真公です

 

天暦(てんりゃく)元年(947)京の内裏の北にある北野の地に北野社(北野天満自在天神宮)に菅原道真が祀られた。

北野社はもともと遣唐使の渡航に際し、雷や天変地異などの自然の神々を祀った社。落雷の祟り神として恐れられた道真を祀る場所として最適だった。

 

道真の左遷に荷担しなかった藤原氏、藤原師輔(ふじわらのもろすけ)により手厚く祀られ、以後、藤原氏の守護神として認知されるようになる。

 

平安時代中期より、天神を祀る天満宮は全国に増え始めた。荒ぶる祟り神より変化し、罪をそそいで現世利益をもたらす慈悲の神として信仰は広がった。

人々に求められる神の姿

天神様が、唐に渡った(実際には行かない)時の絵です
渡唐天神図

 

死後三十年にわたり祟りを恐れられた道真。とはいえ、ただ畏怖する対象ではなかった。

民衆にとって生前の道真は藤原氏の横行を止めてくれる善き政治家、つまり民衆の心の差支えだった。

道真の死後、勢力を増す藤原氏に目を光らせ、バチを当ててくれる正義の存在として道真の"祟り"が人々の口から消えなかったのではないでしょうか。

 

やがて後世になり、道真の高潔な人柄と学問の才にあやかろうと学問の神としてひとびとに愛されるようになる。

現在、道真を天神して祀る天神社は全国に一万二千社以上を数えるほどだ。人々が神に何を求めるのか。それにこたえる存在として神は姿をかえていくといえる。